Yamachanの日記捨て場

日記は書くべきだ。そして、書いたそばから捨てるべきものだ

日記の始まり

 自身の誕生日が近づく秋の良い日に日記をつけ始めた。ただ日記をつけるのでは続かないと考えたため、ブログという目に見える形で残すことにした。毎日つけるのか、はたまた何か書きたい出来事があったら書くのか、未来の私が何を考えているのかわからないが、今のところ三日坊主で終わらせる気はない。このようなことをこれまでの日記の始まりでも書いていたような気がしないでもない。しかし、大切なのはもう一度日記を書き始めようと思ったその心意気なのだ。その心意気さえあれば、いつ日記を書くことをやめても問題はない。いや、そんなことはない。

 はて、日記という体をとりながらもやはり私のことを何も知らない人が私の駄文を長々と読むことは難しいと考えたため、少し自己紹介を行う。私は、バイトなし、彼女無し、かといって成績が抜群にいいわけでもない冴えない大学生だ。大学の近くに一人暮らしをしているため、数少ない仲のいい友人と遊ぶとき以外は、自ら進んで勉強することもなく、所属しているサークルに精を出すでもなく、バイトの代わりと思って勉強しているプログラミングをするでもなく、一人修行に励んでいる。何の修行かと問われても、そのようなことを問うやつに教える気はないし、私も私に何の修行かを問いながら修行をしている。そのため、この修行が何の修行なのか誰も分からない。

 年齢は満20。よってあと3カ月もすれば、成人式という忌むべき行事に参加しなくてはならない。先に断っておくが、中学校、高校において私はサッカー部に所属しており、クールなイケメンだった。クールを徹底しすぎて当時の彼女に振られたことは今回は放り投げておく。何はともあれ、成人式、同窓会に行けば友達はたくさんいる。しかし、問題はそこではなく、逆に仲が良かったからこそ会わない期間が空いた分名にお話せばよいのかわからないということだ。何がうれしくて、気まずさと遠慮と落胆と一つまみの狂気が入り混じったこの世の地獄のような行事に参加しなくてはならないのかはなはだ疑問だ。じゃあ出席しなければいいではないかと簡単に言ってくれるな。親がそこそこ楽しみにしているのを私は知っている。私の膨大な苦労で親のそこそこの楽しみが生まれるのであれば出席しないわけにはいかない。20歳という節目で仲間内で集まりたいということは理解できるが、なぜ大人数で行おうなどと考えるのだろうか。このご時世なのだから仲のいい少人数だけで行ったり、リモートで行ったり、、、いやリモートならいっそなくてもかまわない。リモート会話の苦しさは、久方ぶりに会った友人との会話の数倍であることを私は知っている。さらに仲のいい友人だけで集まることになった際、私だけどこにも呼ばれないなんてことになったら。

結果今夜は、成人式のような馬鹿な行事は私のような冴えない大学生のためにあることを実感する夜となった。